オッペンハイマー

「オッペンハイマー」

「オッペンハイマー、科学者の業と精神構造の深淵」

 

オッペンハイマーは、ケンブリッジ大学に留学し不得手な実験物理学から師の誘いを受けてドイツのゲッティンゲン大学に移り得意な理論物理学を研究し博士号を所得し業績を出した。その後ヨーロッパ各地を回り研鑽を積んでいく。彼の学問への熱心さは、オランダで講義する際に短期間でオランダ語を習得しチャレンジする大切さが必要だと自らに語らせる。アメリカに帰国し理論物理学の助教授となり、星の爆発やブラックホールのあり方等を熱意のこもった講義をおこなうにあたりどんどん学生の数が増えていく。クリストファー・ノーランは、ここまでのくだりで彼の学門に対する真摯な姿勢を丁寧に描出している。

一方で彼は、共産党の集会に参加したり学内に組合を作る活動をする。彼は共産主義者ではなく、ファシズムが嫌いであり、人間における「平等思想」を抱いていることを想像させる。特にユダヤ人を虐待するナチスドイツには自らの出自がユダヤ系であることから憎悪に近い感情を持っている。また共産党員のジーンという女性と恋仲になるが、結婚している共産党員のキティを愛していると感じれば、冷酷にもジーンをあっさり捨て、キティと結婚してしまう。このような彼の精神構造をゆっくりと描くことによって終盤で繰り広げられる、赤狩り時代の聴聞会での彼の窮地に見事につなげていく。

アメリカで実績を積んでいった彼は、第二次世界大戦中に国の巨費を投じた原子爆弾の研究をおこなうマンハッタン計画のリーダーになる。研究となると飽くなきチャレンジ精神のもとリーダーとして仲間を引っ張っていく。水素爆弾の研究を主張する研究員に対しては、その威力の計り知れない大きさから敢然と拒否する態度を取る。彼は原爆を研究しながら恐れていた。原爆を投下すると全世界が崩壊することを。ただ計算上ではほぼゼロとの回答を受け研究を進める。

そして非常に興味深いシーンが描出される。研究途中、ナチスドイツに対抗して原爆を研究していたのに、ドイツが降伏したのだ。研究員達は、もう大量殺戮兵器を作らなくてすむと狂喜乱舞する。しかしここでオッペンハイマーの科学者としての業が如実に表れる。「日本との戦争を終わらせるために原爆は必要だと」皆に言い放ち、彼の言葉に賛同したものはわずかであったがリーダーの一言で研究は継続されていく。ここに恐ろしいまでの彼の科学者としての業の深さが見えるのである。

ついにオッペンハイマーが名付けたトリニティ実験がおこなわれる。人類初の原子爆弾実験。激しい豪雨の中準備に奔走する研究者達、天候の回復を待って再開される実験。クリストファー・ノーランは、音響効果と実験の開始を告げるアナウンス、そしてカウントダウン、緊迫感を大いに高め否応なくスクリーンの中に引きずりこんでいく。直後に轟音と物凄い光、そしてキノコ雲。実験は見事成功した。自分達の理論と技術が立証された研究員達は、オッペンハイマーと共に喜びを分かち合う。実際目で見た原爆の威力の凄まじさ。しかしこの爆弾を日本の都市に落下させ無差別的に大量殺戮をおこなう痛みは見ていてまったく感じない。広島に原爆を落とした当日、彼はラジオにかじりついている。その姿も恐ろしい。これが彼の科学者としての業の恐ろしさなのだ。知らされる原爆投下成功の報。

その時まさに彼は「原爆の父」「我は死神なり、世界の破壊者なり」になってしまったのだ。彼は、研究者仲間から賞賛に迎えられスピーチをおこなう。「今日は忘れられない一日になる」と。その時仲間の顔がケロイド状態になる映像が挿入される。冒頭の学生時代に寝ながら見る光と音の爆発、燃え盛る炎、原爆を積んで戦闘機に乗っている姿、クリストファー・ノーランは、度々彼の想像を明確に映像化していき、彼の心の深層心理を浮き出している。「原爆の父」と称賛を受けるオッペンハイマー。彼は自分が一線を越えて作り出してしまった禁断の兵器に恐れを抱いている。トルーマン大統領との会見での発言がすべてだ。

終盤は、栄誉に満ちているオッペンハイマーを叩き上げの野心家ストローズの遺恨をかい原子力委員会聴聞会で苦境に立たされ、ついに公職追放処分を受ける。このことは、前段でクリストファー・ノーランがしっかりとオッペンハイマーが若い時共産党の集会に参加したくだりを描出していたからこの終盤のシーンがいきてくるのだ。ラストシーンは、名誉回復を得ることになり昔の仲間から祝福を受ける。

クリストファー・ノーランは、三時間の長尺な映画にまったスキを与えない緻密な計算のもと澱みなくストーリーを展開し、映像と音でスクリーンに引き込む吸引力はものすごいの一言に尽きる。オッペンハイマーという人間の科学者としての業の凄さと彼の精神構造、双方の深淵を見せつけたまぎれもなく、人間オッペンハイマーを描出した壮大な映画であった。

ただ筆者は日本人である。トリニティ実験の際、原爆を見た時のグロテクスな形状に吐き気を覚えたし、実験の緊迫感に嫌悪感を抱き、アメリカが日本との戦争終結という大義のもとで広島と長崎に原爆を投下した事実に怒りを覚える。反面オッペンハイマーではなく、ソ連が初めてどこかの国、都市に投下することを考えると世界がどのようになっていたか想像もつかない。どちらがいいとうか悪いという理屈ではないのだ。ただ被爆国の一国民として原爆を投下され罪なき人達が死んでいった事実だけは曲げられないのである。オッペンハイマーに言ってあげたい。「今日は忘れられない一日になる」と日本国民全員が思っていると。

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