「哀れなるものたち」

「エマ・ストーンの覚悟の強さ」

 この映画は、現実から遊離し映像と音に身をゆだねて、楽しい空想旅行で思考し想像すると楽しめます。以下は私の映画の論評です。ネタバレしておりますので、ご注意ください。

  

ゴッドのつぎはぎだらけの顔、身体は大人の女性のベラが幼児のようにわがままに振る舞っている姿に唖然とする。作り手は、まったくの異次元、異世界へ受け手を誘い、冒頭の荒唐無稽な描写を見てこの世界に身を委ねようと決意した。

 この映画は、ベラの成長物語であり、幼児期から始まり身体に似つかわしい女性になるまでの半生を描いている。ゴッドに守られて家に籠っているベラはモノクロ映像で描かれ、自我の発達とともに冒険の旅に出た時からカラー映像になる。

 目を見張るのは、ベラの感性と知性の成長スピードがありえないほどの速さで描写したことだ。幼児期の遊びをしていたのに、気づくと性の芽生えがやってきて自慰行為に手を出している。そして思春期を迎えて自我が出てくる。金持ちの男の一押しもあってベラは冒険の旅に出る。

 性に芽生えたベラが淫らなほど性行為に没頭するシーンには、そこまでやるのかと度肝を抜かれた。しかし不思議ではない。思春期の女の子が、食べて、寝ての他、何の制約もない生活であれば、まるで本能のまま生きている人間として納得がいく。加えて知識程度の低かったベラが、旅を通して出会った人との会話からコミュニケーション能力が飛躍的に向上し知性がうまれ、磨かれていくベラの変貌もまた凄まじい。

 ある事件が起きて一銭もなくベラと男はパリにいる。男は絶望するのにベラは生きていくこと考える合理的思考が、知性とは反するが生きる強さを感じるのである。世間から疎ましい職業と見られてもベラは「自分で稼いでいる」と男に言い放ってあっさり捨てる。この言動の強さは、自己を確立した女性像を作り上げた。

 ベラは、ゴッドの死に際に自宅に帰ってくる。その際に事件がおきるが、最後には痛快なオチが用意さている。ラストシーンのベラの綺麗な肉体とインテリジェンス、生きる強さにあふれ堂々としているベラが本当に美しかった。エマ・ストーンの惜し気もなく身体を曝け出すほどこの映画に賭けた執念には、限りない賛辞を贈りたい。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です