「第96回アカデミー賞国際長編映画賞受賞」
「第76回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞」
監督・脚本:ジョナサン・グレイザー
【映画評論】
作り手が見る者に挑んでくるきわめて挑戦的な映画である。冒頭真っ黒な画面と音が約二分間続く。まるで見る者を暗黒面に誘うようにだ。ユダヤ人が毒ガスで殺されるアウシュビッツ収容所の壁一枚隔てて瀟洒な豪邸でアウシュビッツ収容所の所長家族が暮らしている。
その家には死にゆくあるいは死んだユダヤ人の衣服や食料が持ち込まれ、衣服を身体に纏い豪華な食事を楽しんでいる。このシーンを見ているだけで何か得体の知れない身の毛がよだつ感覚に襲われ恐怖すら感じた。
その要因の一つ目は、ユダヤ人を「人間」と思っていなことだ。軍人たちはユダヤ人を「荷」と呼ぶし主婦達はユダヤ人は抹殺されて当然な民族と思っていることだ。家族や仲間は、完全にナチスのユダヤ人排斥のプロパガンダに骨の髄まで染み込んでいることだ。
要因の二つ目は、ユダヤ人を一切映さない撮影技法だ。映像にはしないが、この家はアウシュビッツ収容所のすぐ隣である。ユダヤ人の叫び声やパンパンと響く銃声が聞こえているはずだ。加えて隣では、人間を焼却して炎が見えるし映画では感じられないがかなりの臭いもするはずだ。しかしここで暮らす家族は何も感じていない。もはや無感覚になっているのだ。無関心を超越した無感覚さが恐ろしいのだ。
映像であえて映さない毒ガス室に送られユダヤ人の恐怖や落胆、死を見る者は想像する。それは、映画中盤に画面を真っ赤にしたことによって血流の断絶を想起させるからだ。たった壁一枚隔てて死にゆく者と豪華な生活を送る者の対極を作り手は見せつける。広い庭、温室、色とりどりの花々、滑り台付きのプール、豪華なベッド、部屋の内装を自慢する妻の感覚が恐ろしい。「自分がどこに住んでいるのか」を気にしない無感覚が恐ろしいのだ。
幼い娘が見る夢、モノクロで暗いトーンである。それが一瞬カラーに変わるのは何故か。ピアノを弾き歌うのは誰なのか。ラストシーンも再度真っ黒な画面で覆い重低音の腹の底に響く音楽が流れる。作り手は見る者に挑んでいるのだ。「この家族の未来はわかっているな」と。